ゴミ山をこの目で見た。
2007年 12月 30日
昨日ブランと約束したとおり、今日は朝からゴミ山へと向かった。
11月から2月くらいまで続く乾季ということもあり、空はとても青くきれいに晴れ渡っていた。
バイクタクシーへ二人乗りで向かう僕たち。
一見楽しそうに見える? でも心の中は実はどきどきしていたんです。
プノンペン市内からバイクで10分程度のところへゴミ山はあります。 ゴミ山という名前はもちろん日本人が勝手にそう呼んでいるだけで、現地の人はそうは呼びません。
つまりは、プノンペンというカンボジアの首都から生み出された大量のゴミがそこへ収集されているわけです。そしてそこでは、そうしたゴミの中から売れるものを選別し、それを売ることで生活の糧を得ている人がたくさん暮らしているというのです。
ペットボトルや、鉄くずや、ビニール袋や、家畜の飼料用の残飯など。
売れるものは何でも餞別します。 そして、そこで働く人たちの中には、まだ幼い子供もたくさん混じっているのです。
ついたゴミ山はまさにゴミの山でした。 いたるところでそのゴミがくすぶっていて、辺り一面白い煙に包まれていました。
収集車の中には日本から寄付されたものもあるようで、日の丸国旗がペイントされていました。
思った以上に広く、思ったよりもたくさんの人がそこで働いていました。収集車が来るたびにその周りをたくさんの人が取り囲み、落とされたゴミをいっせいに選別していく。
ある人はビニール袋を収集し。ある人はペットボトルを収集する。 日本では見られない光景だ。
この煙なんかはきっと体に悪い物質も含まれているだろう。
なぜこの人たちはこうした劣悪な環境で働くことを選択したのか。 同行してくれたブランに聞いてみた。 ここで働いている多くの人は農村地区の出身だった。 収穫期が過ぎるとほとんどの家庭では収入源が大幅に減る。 そうすると、一家の稼ぎ柱であるお父さんは出稼ぎにプノンペンまでやってくる。 しかし、現実もっと厳しく、特別な技術や知識を持たないものはなかなかいい仕事を見つけることができない。 住む場所を確保することすら難しくなる。
そんな時に集まってくるのが、こうしたゴミ山の周辺にいくつかあるスラム街だ。
決していい仕事だとはいえないと思う。
1日の稼ぎはよくて5000~8000リエル程度。1日の生活にぎりぎり足りるか足りないかの額だ。ここでの生活と比べたら、日本のどんな仕事でもましなのではないだろうか。
3Kと呼ばれる仕事は、そのかわりに収入が高いことが多い。しかし、ここではそうではないのだ。
でも、そこで働いている人たちにそれほどの悲壮感は感じなかった。その環境をさほど気にしている様子などないように見えた。 冗談も飛び交っていた。たくさんの笑い声も聞こえ、子供もゴミの中で拾ったおもちゃやボールを使って遊んでいた。
彼らの仕事がもしカンボジアの社会の仕組みとして機能するならば、これほど自然にやさしい処理をしている国もないだろうと思う。使えるものは完全に再利用している。
子供たちも笑顔で走り回っている。 ここにはここの幸せがあるのだろうかと思いもした。
しかし、劣悪な環境であることに変わりはない。 みんなマスクもしていないから少し心配にもなる。 なかには裸足でゴミの上を歩く子供もいた。
ここにくることのきっかけでもあった光景が、そのままそこにあった。
日本の豊かさや、日本に生まれてきたことがどれだけ幸運であったかを感じた。 同時に、物質的に豊かなだけが幸せではないようにも思えた。
ここで暮らす人々は、今の現状を受け入れ、そして、前を向いて賢明に生きている!
日本で暮らす人はどうだ? 日々に追われてばかりで自分がどれだけ恵まれた国に生まれたかを知らないんじゃないか? 物質的・精神的にしろ、満たされることだけが幸せだと思っていませんか?
どれほどの悩みがあったとしても、日本に生まれ暮らす僕たちは十分幸せですよ。
こうして海外に来ている僕もすごい幸せものだと思います。
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11月から2月くらいまで続く乾季ということもあり、空はとても青くきれいに晴れ渡っていた。
バイクタクシーへ二人乗りで向かう僕たち。
一見楽しそうに見える? でも心の中は実はどきどきしていたんです。
プノンペン市内からバイクで10分程度のところへゴミ山はあります。 ゴミ山という名前はもちろん日本人が勝手にそう呼んでいるだけで、現地の人はそうは呼びません。
つまりは、プノンペンというカンボジアの首都から生み出された大量のゴミがそこへ収集されているわけです。そしてそこでは、そうしたゴミの中から売れるものを選別し、それを売ることで生活の糧を得ている人がたくさん暮らしているというのです。
ペットボトルや、鉄くずや、ビニール袋や、家畜の飼料用の残飯など。
売れるものは何でも餞別します。 そして、そこで働く人たちの中には、まだ幼い子供もたくさん混じっているのです。
ついたゴミ山はまさにゴミの山でした。 いたるところでそのゴミがくすぶっていて、辺り一面白い煙に包まれていました。
収集車の中には日本から寄付されたものもあるようで、日の丸国旗がペイントされていました。
思った以上に広く、思ったよりもたくさんの人がそこで働いていました。収集車が来るたびにその周りをたくさんの人が取り囲み、落とされたゴミをいっせいに選別していく。
ある人はビニール袋を収集し。ある人はペットボトルを収集する。 日本では見られない光景だ。
この煙なんかはきっと体に悪い物質も含まれているだろう。
なぜこの人たちはこうした劣悪な環境で働くことを選択したのか。 同行してくれたブランに聞いてみた。 ここで働いている多くの人は農村地区の出身だった。 収穫期が過ぎるとほとんどの家庭では収入源が大幅に減る。 そうすると、一家の稼ぎ柱であるお父さんは出稼ぎにプノンペンまでやってくる。 しかし、現実もっと厳しく、特別な技術や知識を持たないものはなかなかいい仕事を見つけることができない。 住む場所を確保することすら難しくなる。
そんな時に集まってくるのが、こうしたゴミ山の周辺にいくつかあるスラム街だ。
決していい仕事だとはいえないと思う。
1日の稼ぎはよくて5000~8000リエル程度。1日の生活にぎりぎり足りるか足りないかの額だ。ここでの生活と比べたら、日本のどんな仕事でもましなのではないだろうか。
3Kと呼ばれる仕事は、そのかわりに収入が高いことが多い。しかし、ここではそうではないのだ。
でも、そこで働いている人たちにそれほどの悲壮感は感じなかった。その環境をさほど気にしている様子などないように見えた。 冗談も飛び交っていた。たくさんの笑い声も聞こえ、子供もゴミの中で拾ったおもちゃやボールを使って遊んでいた。
彼らの仕事がもしカンボジアの社会の仕組みとして機能するならば、これほど自然にやさしい処理をしている国もないだろうと思う。使えるものは完全に再利用している。
子供たちも笑顔で走り回っている。 ここにはここの幸せがあるのだろうかと思いもした。
しかし、劣悪な環境であることに変わりはない。 みんなマスクもしていないから少し心配にもなる。 なかには裸足でゴミの上を歩く子供もいた。
ここにくることのきっかけでもあった光景が、そのままそこにあった。
日本の豊かさや、日本に生まれてきたことがどれだけ幸運であったかを感じた。 同時に、物質的に豊かなだけが幸せではないようにも思えた。
ここで暮らす人々は、今の現状を受け入れ、そして、前を向いて賢明に生きている!
日本で暮らす人はどうだ? 日々に追われてばかりで自分がどれだけ恵まれた国に生まれたかを知らないんじゃないか? 物質的・精神的にしろ、満たされることだけが幸せだと思っていませんか?
どれほどの悩みがあったとしても、日本に生まれ暮らす僕たちは十分幸せですよ。
こうして海外に来ている僕もすごい幸せものだと思います。
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by lovely_smile094
| 2007-12-30 20:45
| カンボジア