長州で生まれ長州育ち、好きな人物は坂本龍馬!カンボジアから始めた旅と共に始めたブログ☆ 話題はカンボジアだけでなく様々ですが、どうぞ気軽に絡んでやってください♪


by lovely_smile094
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アーティスト

カンボジアでマリコという女性と出会いました。

彼女は、とっても不思議な感じな子で、周りから フェアリーちゃん060.gif という素適なニックネームを授かっていました。

でも、そんな不思議な彼女はとっても素適なこともしていました。

カンボジアでは、今でこそ随分きれいになりましたが、ゴミを片付けるという習慣があまりありませんでした。

僕がカンボジアで行っていた村ではたくさんのゴミが落ちていました。

彼女はそんなゴミを拾い集め、それを形にくりぬき、穴を開け、糸で括り、素適なネックレスを作っていました。

いわばゴミの中から生まれた、花のネックレスです。

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そう、彼女は元々こうしたオリジナルのアートを作っている人だったのです。

今頃はカンボジアにいるのだろうか。

彼女は地雷撤去処理の研修、というか訓練を受け、その撤去した地雷でアートを作ろうと考えていました。

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それは、きっとアートにとどまらないものになると思います。

たとえ、カンボジアにある地雷が全て無くなったとしても、それまでに引き起こされた悲しみの思いは無くなりません。

日本でも原爆の悲しみが何十年たとうとなくならないように。

彼女のアートは未来へと続くメッセージとして、カンボジアで受継がれていくことでしょう。



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by lovely_smile094 | 2010-04-27 20:32 | カンボジア

2/1 貞子のスクール

今日はここ、シェムリアップであった素敵な男性 伊藤さんからのお誘いで、農村地区の学校へ行くことになりました♪

この学校も伊藤さんが支援し、カンボジアの友達や村の人たちと協力して建てられたのだそう。

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ボランティア仲間のまりちゃんと、昨日孤児院であったマミさんも一緒に行ってまいりました。

この学校が建てられる以前、そこの農村地区には学校がなかったそうです。あるにはあったけど、あるいて4時間もかかる隣村まで行かなければならなかったそうです。 当時はまだまだ道の舗装も悪く、自転車では通えないし、歩いても4時間もかかるようで子供には到底無理。

カンボジアの友達に学校の相談をされた伊藤さんは、村人と協力することで学校第1号を建てられました! 最初の学校は、やしの木などで作った建物で、建築費は安かったけどやはりその分強度が弱く大雨が降ったときに崩壊してしまい、その後コンクリ製のものに建て替えて現在に至っているようです。このおかげで、それまで学校に行くことのできなかった子供たちが今では熱心に勉強をしているのです。

小さな教室が二棟。 そこでの授業風景を見ると日本の戦後を思い返される光景でした(戦後知らないんですけどなんとなくそんな感じ)

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名づけられた『貞子の学校』 ご存知ですか? 貞子さん。 もちろん、知ってますよね~

そう、あのリングの… ってそんな縁起の悪い名前付けるか!

由来はそこじゃないです。 貞子の折鶴って聞いたことありますか?

広島で原爆の被害を受けた当時中学生の貞子さんは、原爆症に苦しみながらも決して生きることを諦めず、よくなることを信じてたくさんの折鶴を折ったそうです。

伊藤さんが名づけたこの学校には、どんな困難な状況、苦境であっても決して諦めず、希望を持って生きよう。 そんな願いと思いが込められているのだと思います。

子供たちを見ていて僕自身本当にそう思えました。

小さな学校で、ほとんどの子は制服を着ていません。町で3ドルで買える制服を買うお金がないのです。 おそらく兄弟のお下がりなのでしょうか、ぼろぼろになった服を着ている子もたくさんいます。

でも、彼らはまったく惨めなんかじゃないんです。 その顔はきらきら輝いて、勉強できていることを素直に喜んでいる。 カメラを向ければ満面の笑みをしてくれるんです。

心の豊かさは決して物質ではないのです。 子供たちは自分たちの生活の中に、きっとたくさんの幸せを持っているのだと思います。

そんな彼らにこうした場所作りを進められた伊藤さんを心から尊敬します。

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☆伊藤さんのホームページ『CAMBODIA LIFE NETWORK』です。ぜひご覧ください。涙なしには見れない現実もあります。

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この後、今もカンボジアに暗い影を落とす地雷の博物館にも見学してきました。
ここをつくられたアキー・ラーさんについてはいずれご紹介します。

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帰り道では集落の井戸で遊んでいる子供たちに会いました。そして、なんとその井戸も日本の方が寄贈したものでした。

短い間だけど、たくさんの自分の知らなかったことが見れたことに感謝します。たくさんの日本人がいろんな場所で支援活動をされていることを感じ取れた日でした。

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by lovely_smile094 | 2008-02-01 12:53 | カンボジア

今度は見れました。

先日トゥール・スレン博物館に行った時、そこをでてすぐに2人の物乞いの男の人がいました。


その人たちはおそらく、おそらく地雷の被害者。ここにきた観光客にお金をもらうために待っているのです。

一人は、片手・片足がありませんでした。

もう一人は、爆発を体の前面で受けたような、顔が、通常のそれとは全く別物でした。口も利けないようでした。。何か音を発しながら、見てくれといわんばかりに、その体を近づけてきました。


そのとき僕はどうしてよいのかわからず、目をそむけただ足早にその場を去ってしまいました。

それから数日間考えました。

あの時、わずかなお金でも上げるべきだったのだろうか?

中には、単なる施しは彼らにとっても良くないとか、努力をしなくなるとか、そういう人もいてそれもそうかなと思いはしました。
でも、たったわずかな、一瞬の幸せでも彼らが感じることが出来るのなら、それだけでもいいんじゃないかと、そうした気持ちも沸きました。
それより何より、目を背けてしまった自分が情けなく悔しかった。
正面からみることが出来なかった、その人たちのことがしばらく忘れられませんでした。


今日1月10日。プノンペン市内にある『ワット・プノン』という観光名所の一つに行ってきました。ここは町の中心近くにある小高い丘に建てられた寺院。まわりをぐるっと公園に囲まれとても落ち着ける場所。その散歩道を象も歩いていたりして、観光客も多いところです。落ち着ける場所です。
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正面の階段を上る途中、何人かの人が階段の脇に座っていました。


地雷の被害者でした。


遠目からでしたが、一人は片足が無い老人。 

もう一人は両足ともあるけど動けず、片手はない人。

そして、奥に座っていたもう一人が一番ひどく、片足がなく、両手もなく、おそらく顔にも爆風を受けたためか、顔も無残な形に変わってしまい、口も満足に利けず、目も見えておらず、一緒に物乞いをしていた人たちの声で人が通りかかったことを悟り、反応して何かを言っていました。お金をもらう為に小さなバケツを、その無い手にかけて。


一瞬引き換えそうかと思いました。正直、そうした人たちと対面するのが怖かった。


でも、今度はそのまま進んでいきました。そして、一人一人の目をしっかりと見ながら、わずかずつですが手にお金を渡しました。

一番ひどいその人には、そのバケツの中にお金を入れました。 

みんなお礼らしきことを僕に言ってくれていました。


僕がした事がいいのかどうか分からないし、わずかなお金を上げても何の解決にもならない事は分かっている。でも、そうした被害者の人たちも同じ人間だし、日々の暮らしもなんとか過ごしているのだろうし、一瞬だけでも嬉しさとか感じられるのなら、それだけでもいいんじゃないか。

何よりその人たちを正面から見ることが出来て、初めてのことだったけど、なんて言っていいのかわからないけれど、現実をしっかりを見れた気がして、以前味わった気持ちを少し拭い去る事が出来ました。


これからも目をそらさずに、見ていきたいと思います。


以前読んだあるNGO団体の本の中で、こうした事が書いてありました。


カンボジア難民を救援すべく難民キャンプへ行った団体の隊員が、そのキャンプのあまりの悲惨さを目の当たりにし、何をしていいのかわからず立ち尽くし、その難民たちの長に言いました。

『僕らはあなた方の救援に来たのに、今この瞬間、あなた方に対して何もしてあげる事が出来ません。』 

涙ながらに語った隊員に、その長は言ったそうです。

『何もしてくれなくていい。そばにいてくれるだけでいい。たった一人でも世界に友がいてくれることが感じられて、私たちはうれしい。』


今度こそは、あの人たちの顔を、しっかりと見ることが出来ました。


※以前にも紹介したこの映像を、もう一度見てもらえませんか。
わずか9分間の映像です。

http://jp.youtube.com/watch?v=1aWkKw_fO6k

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by lovely_smile094 | 2008-01-10 13:13 | カンボジア
ゴミ山へ行った同じ日、プノンペン市内にあるトゥールスレン博物館に行ってきました。博物館という名前がついていますが、実際はトゥールスレン収容所。

皆さんはご存知でしょうか? 今からほんの30年前のことです。 東南アジアの国カンボジアで起きた世紀の大虐殺。 

フランスからの植民地支配を受け続けていたカンボジアでは、ベトナム戦争でのフランスの敗北を機に、当時の国王シアヌークにより独立宣言が行われました。平和がやっとこの国にも来たと思われた瞬間だったそうです。いまでも独立後の数年間、シアヌーク国王が国政を行っていた頃が一番平和だったというカンボジア人も多くいるそうです。
その後シアヌーク国王は、ベトナム戦争において、北ベトナムへの物資供給を支援したり、避難路としてカンボジア国内への入国を認めたりと、南ベトナムと共に北ベトナムを攻撃していたアメリカに反する北ベトナム援助を行いました。これがアメリカの反発を買い、アメリカはロン・ノル将軍を後押しし、シアヌーク国王が海外へ訪問中にクーデターを起こさせ失脚させました。

新しい政府は国民からも支持は得ていませんでした。 その後に政権を奪回したのが、悪名を馳せるポル・ポト政権だったのです。

ポル・ポトはシアヌークを引退させ幽閉し、実権を自分のものとしました。
彼が行った粛清・虐殺により、外国人はもちろんのことカンボジア国民も含め200万とも300万ともいわれる大量虐殺が行われました。

今日行ったトゥールスレンはもともとは小学校だったものを、拷問を行ったり、収容したりする場所として使われていたのです。

外観は整備されてきれいなものでした。
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でも、敷地内に建てられた慰霊碑、拷問に使われた器具、建物の中には当時拷問時に使われたベッドと収容者をくくりつける足かせ手かせがそのまま残され、今ではかなり薄くなっていましたが、おびただしい数の血痕も当時行われた行為の凄さを物語っていました。
別の建物では収容者を個別に収容するための独房があり、そこに収容されていた人の写真も展示されていました。そして最後の建物には、そこに収容された数え切れない人たちの写真が展示されていました。中には本の小さな子供や赤ん坊まで…
建物中は重苦しい空気に包まれていて、とても息苦しかった。

同じアジアで、ほんの30年前に起きた悲劇。どんな理由があろうと決して許されない非道な行為!あってはならない事実!

でも、僕はこの事件のことをここに来るまでほとんど知りませんでした。 いや、知らなかったんじゃなく知る術はいくらでもあったはずなのに知ろうとすらしなかった。

今もカンボジアの人々に悲しい影を落とすこの事実、そして、今もたくさんの犠牲者を出している地雷の多くはこの時代に埋められたのだそうです。

案内してくれたブランの話をただうなずきながら聞き、何もコメントすることもできませんでした。
もっといろんな世界の現実を知る必要があると強く感じました。

そして、全部回り終え収容所をでた僕たちを待っていたのは、地雷の被害にあった人たちでした。

映像で見たことはある。でも実際にこの目で会うのは初めてでした。一人の男性は両手がなく、その手を見てくれといわんばかりに僕たちの前へ向けてきました。もう一人は、おそらく地雷の爆風を正面から受けてしまったためか、顔が普通の人のそれとはまったく違っていました。
彼らはそうした被害にあった体を観光客に見せ、お金をもらおうとしているのです。

僕は…、僕はそんな彼らをまともに見ることができませんでした。 たった今トゥールスレンという悲しい事実を見、沈んでいたときに見たもうひとつの現実。

そんな彼らを見ることもできずに、避け、足早にその場を立ち去ってしまいました。

その日、学校へ戻った後も自分がどうすべきだったのかを考ずにはいられませんでした。すぐには答えは出ませんでした。

僕はあの時見ることすらできなかった。どうすべきだったのだろうか?地雷の犠牲者は特別な国からの援助はないそうです。じゃあ彼らはどうやって生きていけばいいのか。


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by lovely_smile094 | 2007-12-30 20:21 | カンボジア