今度は見れました。
2008年 01月 10日
先日トゥール・スレン博物館に行った時、そこをでてすぐに2人の物乞いの男の人がいました。
その人たちはおそらく、おそらく地雷の被害者。ここにきた観光客にお金をもらうために待っているのです。
一人は、片手・片足がありませんでした。
もう一人は、爆発を体の前面で受けたような、顔が、通常のそれとは全く別物でした。口も利けないようでした。。何か音を発しながら、見てくれといわんばかりに、その体を近づけてきました。
そのとき僕はどうしてよいのかわからず、目をそむけただ足早にその場を去ってしまいました。
それから数日間考えました。
あの時、わずかなお金でも上げるべきだったのだろうか?
中には、単なる施しは彼らにとっても良くないとか、努力をしなくなるとか、そういう人もいてそれもそうかなと思いはしました。
でも、たったわずかな、一瞬の幸せでも彼らが感じることが出来るのなら、それだけでもいいんじゃないかと、そうした気持ちも沸きました。
それより何より、目を背けてしまった自分が情けなく悔しかった。
正面からみることが出来なかった、その人たちのことがしばらく忘れられませんでした。
今日1月10日。プノンペン市内にある『ワット・プノン』という観光名所の一つに行ってきました。ここは町の中心近くにある小高い丘に建てられた寺院。まわりをぐるっと公園に囲まれとても落ち着ける場所。その散歩道を象も歩いていたりして、観光客も多いところです。落ち着ける場所です。
正面の階段を上る途中、何人かの人が階段の脇に座っていました。
地雷の被害者でした。
遠目からでしたが、一人は片足が無い老人。
もう一人は両足ともあるけど動けず、片手はない人。
そして、奥に座っていたもう一人が一番ひどく、片足がなく、両手もなく、おそらく顔にも爆風を受けたためか、顔も無残な形に変わってしまい、口も満足に利けず、目も見えておらず、一緒に物乞いをしていた人たちの声で人が通りかかったことを悟り、反応して何かを言っていました。お金をもらう為に小さなバケツを、その無い手にかけて。
一瞬引き換えそうかと思いました。正直、そうした人たちと対面するのが怖かった。
でも、今度はそのまま進んでいきました。そして、一人一人の目をしっかりと見ながら、わずかずつですが手にお金を渡しました。
一番ひどいその人には、そのバケツの中にお金を入れました。
みんなお礼らしきことを僕に言ってくれていました。
僕がした事がいいのかどうか分からないし、わずかなお金を上げても何の解決にもならない事は分かっている。でも、そうした被害者の人たちも同じ人間だし、日々の暮らしもなんとか過ごしているのだろうし、一瞬だけでも嬉しさとか感じられるのなら、それだけでもいいんじゃないか。
何よりその人たちを正面から見ることが出来て、初めてのことだったけど、なんて言っていいのかわからないけれど、現実をしっかりを見れた気がして、以前味わった気持ちを少し拭い去る事が出来ました。
これからも目をそらさずに、見ていきたいと思います。
以前読んだあるNGO団体の本の中で、こうした事が書いてありました。
カンボジア難民を救援すべく難民キャンプへ行った団体の隊員が、そのキャンプのあまりの悲惨さを目の当たりにし、何をしていいのかわからず立ち尽くし、その難民たちの長に言いました。
『僕らはあなた方の救援に来たのに、今この瞬間、あなた方に対して何もしてあげる事が出来ません。』
涙ながらに語った隊員に、その長は言ったそうです。
『何もしてくれなくていい。そばにいてくれるだけでいい。たった一人でも世界に友がいてくれることが感じられて、私たちはうれしい。』
今度こそは、あの人たちの顔を、しっかりと見ることが出来ました。
※以前にも紹介したこの映像を、もう一度見てもらえませんか。
わずか9分間の映像です。
http://jp.youtube.com/watch?v=1aWkKw_fO6k
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その人たちはおそらく、おそらく地雷の被害者。ここにきた観光客にお金をもらうために待っているのです。
一人は、片手・片足がありませんでした。
もう一人は、爆発を体の前面で受けたような、顔が、通常のそれとは全く別物でした。口も利けないようでした。。何か音を発しながら、見てくれといわんばかりに、その体を近づけてきました。
そのとき僕はどうしてよいのかわからず、目をそむけただ足早にその場を去ってしまいました。
それから数日間考えました。
あの時、わずかなお金でも上げるべきだったのだろうか?
中には、単なる施しは彼らにとっても良くないとか、努力をしなくなるとか、そういう人もいてそれもそうかなと思いはしました。
でも、たったわずかな、一瞬の幸せでも彼らが感じることが出来るのなら、それだけでもいいんじゃないかと、そうした気持ちも沸きました。
それより何より、目を背けてしまった自分が情けなく悔しかった。
正面からみることが出来なかった、その人たちのことがしばらく忘れられませんでした。
今日1月10日。プノンペン市内にある『ワット・プノン』という観光名所の一つに行ってきました。ここは町の中心近くにある小高い丘に建てられた寺院。まわりをぐるっと公園に囲まれとても落ち着ける場所。その散歩道を象も歩いていたりして、観光客も多いところです。落ち着ける場所です。
正面の階段を上る途中、何人かの人が階段の脇に座っていました。
地雷の被害者でした。
遠目からでしたが、一人は片足が無い老人。
もう一人は両足ともあるけど動けず、片手はない人。
そして、奥に座っていたもう一人が一番ひどく、片足がなく、両手もなく、おそらく顔にも爆風を受けたためか、顔も無残な形に変わってしまい、口も満足に利けず、目も見えておらず、一緒に物乞いをしていた人たちの声で人が通りかかったことを悟り、反応して何かを言っていました。お金をもらう為に小さなバケツを、その無い手にかけて。
一瞬引き換えそうかと思いました。正直、そうした人たちと対面するのが怖かった。
でも、今度はそのまま進んでいきました。そして、一人一人の目をしっかりと見ながら、わずかずつですが手にお金を渡しました。
一番ひどいその人には、そのバケツの中にお金を入れました。
みんなお礼らしきことを僕に言ってくれていました。
僕がした事がいいのかどうか分からないし、わずかなお金を上げても何の解決にもならない事は分かっている。でも、そうした被害者の人たちも同じ人間だし、日々の暮らしもなんとか過ごしているのだろうし、一瞬だけでも嬉しさとか感じられるのなら、それだけでもいいんじゃないか。
何よりその人たちを正面から見ることが出来て、初めてのことだったけど、なんて言っていいのかわからないけれど、現実をしっかりを見れた気がして、以前味わった気持ちを少し拭い去る事が出来ました。
これからも目をそらさずに、見ていきたいと思います。
以前読んだあるNGO団体の本の中で、こうした事が書いてありました。
カンボジア難民を救援すべく難民キャンプへ行った団体の隊員が、そのキャンプのあまりの悲惨さを目の当たりにし、何をしていいのかわからず立ち尽くし、その難民たちの長に言いました。
『僕らはあなた方の救援に来たのに、今この瞬間、あなた方に対して何もしてあげる事が出来ません。』
涙ながらに語った隊員に、その長は言ったそうです。
『何もしてくれなくていい。そばにいてくれるだけでいい。たった一人でも世界に友がいてくれることが感じられて、私たちはうれしい。』
今度こそは、あの人たちの顔を、しっかりと見ることが出来ました。
※以前にも紹介したこの映像を、もう一度見てもらえませんか。
わずか9分間の映像です。
http://jp.youtube.com/watch?v=1aWkKw_fO6k
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by lovely_smile094
| 2008-01-10 13:13
| カンボジア