キリングフィールド
2008年 01月 07日
キリングフィールドという場所をご存知ですか? 映画や小説にもなったことのある、カンボジアで知らない人のいない場所。
ポル・ポトが政権を握っていた時代、以前行ったトゥールスレン収容所に収容され、拷問を受けたカンボジア人は、人々が寝静まった夜の間に、ここキリングフィールドに連れてこられました。
目隠しをされどこだかわからないようにしていたそうです。
そして、そこでは、赤ん坊から、そのお母さん、子供、老人に関わらず、虐殺され、そしてそのまま掘られた穴に埋められた、その場所がキリングフィールドです。
今回ボランティア仲間のまりちゃんが行くということで、僕も行きたいとは思っていたけど行けていなかったので、一緒に行くことにしました。案内は学校のスタッフのダラーがしてくれました。
プノンペン市内からバイクで20~30分程度走ったでしょうか。
静かでひっそりとした場所でした。
でも、あきらかに空気が違うのを感じました
そこには慰霊塔が作られており、ここで殺された何百人もの人々の遺骨が、後に掘り起こされなれべられています。無数の頭蓋骨や分別不可能な骨の山、そして当時の人々が着ていた衣類の山が、分けられた棚に積み重ねられています。
ダラーは知っていることをたくさん話してくれました。ポル・ポト政権の命により実行していた多くは10代の子供たちだったそうです。そうした行為をするふちに感覚や精神が麻痺し、通常の人間ではとてもできない非道な行為をやっていたという。そこにあった大木は赤ちゃんを打ち付けて殺すために使われていたそう、上を見上げるとロープか何かの後があり、そこでは収容した者を吊るしていたそうです。話を聞いても信じられないようなことが実際にあった場所。
どうして同じ人間がそんな非道なことができるのか。最初は命令で仕方なく、命令に逆らえば自分が殺される。そのうちに自分がやっていることがわからなくなるのでしょうか。
今も忘れられるはずがないくらい過去をカンボジアの人たちは抱えています。ほんの30年間の話です。そして、この事件が今のカンボジアにも強い影響を与えています。
当時殺された人の多くは知識人だったそうです。ポル・ポトは自分の政権に反対するもの、そしてその可能性を持ちそうな知識人、学者や先生やお坊さんなどを真っ先に殺していったそうです。そのため先生の数が圧倒的に足りず、またそうした先生も十分な教育を受けているわけではなく、そうした事がカンボジアの復興を遅くしている原因でもあるのです。
この場所に来てよかったと思います。カンボジアという国の悲しみの歴史だけれど、それを知った上で彼らと向き合うことができますから。
※キリングフィールドへいってみたい方は、バイタクやトゥクトゥクのおっちゃんと値段交渉して行くこともできますし、ツアー会社で行くこともできるようです。
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ポル・ポトが政権を握っていた時代、以前行ったトゥールスレン収容所に収容され、拷問を受けたカンボジア人は、人々が寝静まった夜の間に、ここキリングフィールドに連れてこられました。
目隠しをされどこだかわからないようにしていたそうです。
そして、そこでは、赤ん坊から、そのお母さん、子供、老人に関わらず、虐殺され、そしてそのまま掘られた穴に埋められた、その場所がキリングフィールドです。
今回ボランティア仲間のまりちゃんが行くということで、僕も行きたいとは思っていたけど行けていなかったので、一緒に行くことにしました。案内は学校のスタッフのダラーがしてくれました。
プノンペン市内からバイクで20~30分程度走ったでしょうか。
静かでひっそりとした場所でした。
でも、あきらかに空気が違うのを感じました
そこには慰霊塔が作られており、ここで殺された何百人もの人々の遺骨が、後に掘り起こされなれべられています。無数の頭蓋骨や分別不可能な骨の山、そして当時の人々が着ていた衣類の山が、分けられた棚に積み重ねられています。
ダラーは知っていることをたくさん話してくれました。ポル・ポト政権の命により実行していた多くは10代の子供たちだったそうです。そうした行為をするふちに感覚や精神が麻痺し、通常の人間ではとてもできない非道な行為をやっていたという。そこにあった大木は赤ちゃんを打ち付けて殺すために使われていたそう、上を見上げるとロープか何かの後があり、そこでは収容した者を吊るしていたそうです。話を聞いても信じられないようなことが実際にあった場所。
どうして同じ人間がそんな非道なことができるのか。最初は命令で仕方なく、命令に逆らえば自分が殺される。そのうちに自分がやっていることがわからなくなるのでしょうか。
今も忘れられるはずがないくらい過去をカンボジアの人たちは抱えています。ほんの30年間の話です。そして、この事件が今のカンボジアにも強い影響を与えています。
当時殺された人の多くは知識人だったそうです。ポル・ポトは自分の政権に反対するもの、そしてその可能性を持ちそうな知識人、学者や先生やお坊さんなどを真っ先に殺していったそうです。そのため先生の数が圧倒的に足りず、またそうした先生も十分な教育を受けているわけではなく、そうした事がカンボジアの復興を遅くしている原因でもあるのです。
この場所に来てよかったと思います。カンボジアという国の悲しみの歴史だけれど、それを知った上で彼らと向き合うことができますから。
※キリングフィールドへいってみたい方は、バイタクやトゥクトゥクのおっちゃんと値段交渉して行くこともできますし、ツアー会社で行くこともできるようです。
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by lovely_smile094
| 2008-01-07 12:30
| カンボジア